Friday, June 13, 2014

八重桜と写真についてのたわ言 on cherry blossoms and Photography

これは、少し前の話なのですが、住んでいる部屋の窓を開けると、風にのってひらひらと舞い落ちてくる白いものがあったので、え、春の雪?(などとロマンチックには考えなかったのですが)、桜の花びらが降ってきたのでわたしは階段を駆け下り外にでてその花びらの出所を探しました。それは近くの保育園にある八重桜でした。その日はちょうど満開の日に、ちょうど良く風が強かったので、本当に花びらがたくさん降り落ちて、道路のあちこちに吹き溜まっていたので、わたしはわくわくしてしまい、花びらを沢山袋につめてもって帰りました。(変?

八重桜ってみんながお花見する染井吉野にくらべてなぜかマイナーなイメージがあるのですが、色も明るいピンクで花びらが沢山あってとてもきれいでゴージャスだと思います、、。染井吉野が咲くときには、都内なんかでは、もう花見というより完全に人見って感じになるほど人が集まってお花見をするのに、その数週間後に咲く八重桜のお花見ってあまりしない気がします。なぜなのでしょうか?。
そういえば子供のときも、祖父の家の近くに八重桜で有名な公園があり、その家の前にも八重桜の木があったので、良く、もうすぐ八重桜が咲くよといわれて、え、ヤエ!?って?!普通の桜が見たいのに。。と思っていた記憶があります。

わたしはその持ち帰ったあまりに新鮮で大漁の花びらをどうしようかと考え、まずは本にはさんで押し花にして、それから、空き瓶にいれてながめてみたりしたのですが、本当にきれいなピンクで、薄くていい肌触りで、ああ、この花びらが一晩もすればしおれてしまう、と思ったら寂しくなりなんとか保存したいと思い、沢山の花びらを透明の樹脂で固めて標本みたくしたらどうか、と思いついたのです。早速ネットで調べてみると花を樹脂で標本にするのは結構良く有ることらしく(少しがっかり)、私は東急ハンズで樹脂セットを買い、花びらの標本作りをはじめてみました。





そんなことをしていたらふと、人が写真を撮るのも、今自分が目の前で体験していることが、大切なので、でも時間は過ぎていってしまうから、保存しておきたい。という気持ちで撮る場合があるよね、、。と思いました。そして前に学校で先生が、”写真は記憶についてだから。”と言ってた事を思い出しました。全ての写真が、”記憶について”とはかぎらないだろう、と思ったけど、確かに”写真”として見るときはそこに映っているものは今の瞬間ではなく過ぎた瞬間のことだからある意味すべて記憶についてなのかな、、。とも思いました。”写真”という手段がなければ、”今” 体験していることはその瞬間が過ぎれば自分の意識の中の記憶としてしか見る事ができないけど、写真という手段によって、記憶のイメージを外の世界に再現することができるんだ。。と。そして他者とそのイメージを共有することができる。
切なく、うれしいことだと思いました。
(でも、記憶を表現するということ以外にも 写真表現の目的はある。はずだ。
私は良く別の目的で写真や映像を撮りたいと思う、と思う。)

ところで、今の瞬間をずっと保存しておきたいと目論んで挑戦した八重桜の花びらの標本は、樹脂が固まるまで、薄くて繊細な花びらは耐えられず、じわりと溶けてしまってスカスカになってしまった。 自然の摂理に逆らって花びらを永久に保存して愛でてやろうなどと思った自分に反省?というか花びらに申し訳ない気持ちになってあきらめました。”今”は今体験するしかないのか。美しい瞬間をできればそのままずっと保存しておきたい。消えないで、、、。という気持ちの行方は、、。
写真や映像に収めることはひとつの 方法なのでしょうか。
でも、大切すぎて?なかなかカメラを向けられないこともある気がしました、。